NewsPage 2019年


2019年墓碑前祭と今日を語る会

2019年墓碑前祭と今日を語る会開催しました
写真 没後90年の墓参・碑前祭に集まった皆さん
  •  9月23日午後1時30分から墓前・碑前祭が龍雲寺霊園で行われ、その後場所を移して湖南公民館で「今日を語る会」を行いました。
  •  講演では、長野県原爆被害者の会会長の藤森俊希さんから「核兵器禁止条約」が国連で採択されてからの運動の世界への広がりが語られました。
    今年は、伊藤千代子の没後90周年を記念する年ですが、新体制が発足し会の再建に取り組み始めたばかりでしたので「特別の行事」は、見送りました
    東京からもご参加いただき「全国的に今、伊藤千代子が注目されている。」とのお話もありました。
    藤森守会長からは、諏訪でも新体制のもと会の発展に力を尽くす決意を込めて挨拶がありました。
  • 墓前碑前祭 藤森会長の挨拶
     皆さんこんにちは。ようこそ、2019年度伊藤千代子墓前・碑前祭にお集まりいただきましてほんとうにありがとうございます。私、実は大変新米でございまして、今年6月に臨時総会を開かせていただきまして、前任の三澤実さんより会長職を引き受けさせていただいて、今日初めての集会になります。
     今年は碑が出来て20年ということで、皆さんに大変なるご不便をかけておりました千代子の経歴の碑ですけれど、白のペイントの字がかすれて見えないという状況が長いこと続いておりましたが、今年あの会長職受けまして一念発起をいたしましてお金がないものですから私と事務局長の西村さんと2人で3日かけてペンキを2回3回と入れて最後カッターで余分な塗料をはがすということを、ですね腰が痛い腰が痛いと言いながら今年やらしてもらいました。
     20年たってダメになったからあとは5・6年ごとに1回やればもう十分じゃあないかなと、テクニックも覚えましたので私が元気のうちは、自費でこの碑を綺麗にして、どなたがいらしてもよく見えるという風にさしていただきたいと思っています。今日見た皆さんは、初めて、創建当時の白い字がきちんと読めるということでございますので、しっかり皆さん目に焼き付けたり写真に撮っていっていただきたいと思います。  今年は、千代子が没してから90年という節目になって、本来はもうちょっと大きい形でやりたいと思ったのですが、なにせ力がなくて通常の形の墓前・碑前祭にさせていただきました。
    是非この後、会を作っていくという中で皆さんのお力添えをいただきまして、しっかりしたものにしていきたいと考えておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
  •  この後、これが終わりましたら下の湖南公民館に移っていただいて2年越しのお願いになりますが、被団協の藤森俊希さんの講演をいただく予定になっておりますのでどうかよろしくお願いいたします。今日はお集まりいただいて本当にありがとうございました。
    よろしくお願いいたします。
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    碑の前で挨拶する藤森新会長
  • 共産党諏訪・塩尻・木曽地区委員長上田さんの挨拶
     皆さんこんにちは
    伊藤千代子さん、我々の大先輩の顕彰碑が出来まして20年以上が経ったということであります。
     誠に厳しい時代に民衆の皆さんに暮しを守る、民主主義を守ろうという高い決意で頑張られて、志半ばで倒れましたけれども、私たちの大先輩として本当に誇るべき方がいたと、私も本当にこういう地に参加できて誇りに思っているところです。
     あの時代から綿々として頑張ってきたことが、いよいよ実を結びつつあると感じております。
     参議院選挙でこの長野県でも、羽田雄一郎さんを野党統一で、大差で勝利することが出来ました。
     先日行われた志位さんの創立記念講演では、野党共闘が本当に真の力を発揮して「野党連合政権も視野に入ってきた」と言われております。
     私共も、続く今度の総選挙では、必ず長瀬由希子さんを候補として発表しましたが、この長野4区で現職の後藤さんを破って長野県全体で小選挙区ではすべて野党側が取る、そして民主連合政権に向けてこの日本の一番中心にある諏訪地方から旗を上げていくそのために全力で頑張っていきたいと思っております。
  •  来年に予定されるではないかと思います総選挙に向けて、我々本当にやるには伊藤千代子さんのこころざしを受け継いで、さらに大きな党を作って皆さんと一緒に新しい歴史、作っていきたいと思います。
     ご参加の皆さんも、ぜひお力添えをお願いをいたしまして簡単でございますが地区委員会を代表してのご挨拶とさせていただきます。
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    上田地区委員長
三澤顧問の挨拶
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    挨拶する三澤顧問
  • 伊藤千代子さんの碑を建てたのは、私が諏訪市で議員に挑戦しなければいけないときでした。私が50歳の時です。幸い当選出来まして、3期やりましたけれど、その中で伊藤千代子を今の世に問いかけたいということで「新すわ」という新聞に、郷土史家の故藤森明さんにお願いをして非常に歴史に詳しい人でしたので書いてもらいました。
  •  その記事をさらに発展させて1冊の本「こころざし今に生きて」を発刊し全国から注文がありました。 去年、23回目の墓前祭・碑前祭まで仕切ってきたのですが、私、かなり老化しました。ここにおられる田中さんも事務局次長としてかなりの論文を書いてくれました。
     現実として、1年1年誰でも平等に月日が経って行って今日を迎えていることを強く感ずるところであります。
     次代を担っていく皆さんに、お渡し出来ること本当にうれしく思っているところであります。
     これからさらに内容を充実させる、あるいは、全国に、世界に、発信していくことが大切です。
    千代子さんたち、日本の置かれている現状と命がけで闘ってあの戦争を阻止しようということで頑張った人がいるんだということを、日本では、そういう人がたくさんいるんだということを訴えてきました。その戦争をとおしてこの顕彰碑を私が議員でいるときに決意して作った経過があります。
     ただ、とても私一人で負担できることではありません。多くの人から協力とお金もいただいき、それこそ知恵もいただいてそういうものが出来ているということです。
     墓地の一角への建立となりしましたが、そこに伊藤千代子さんのお墓もあります。全国からここを訪ねて、千代子さんのお墓参りもしてもらえるということで良い所に建ったなと思っています。
     そんなことで、こうして皆さんに応援してもらって、さらに新たな取り組みを展開していこうとしているということで、今日の集いを大事にしながら、これから新しい体制で伊藤千代子の運動をさらに発展させていただきたいなと、強く思っております。
    どうぞこれからもよろしくご支援お願いをいたします。
    ありがとうございました。
  • 今日を語る会
     今年の「今日を語る会」は藤森俊樹さんの講演をメインに 諏訪市湖南公民館で行われました。
    また、新体制移行のための臨時総会の報告や会計報告なども行われました。

  • 日本共産党諏訪市委員会
    宮坂良夫さんの挨拶
     皆さんこんにちは
     伊藤千代子さんの墓参と顕彰碑のほんとに毎年恒例のようにといえばそういう事になりますけれど、今年は特別な意味を持ちながら参加をさせていただきました。
    皆さんご存知のとおり、今の日本の政治が非常に大変なことになっています。
    今から考えてみれば2014年ですか、いわゆる特定秘密法の採決、それから続いての共謀罪の採決、2015年いわゆる戦争法が強行採決されまして、ほんとうに安倍政権の横暴な政治が行われてきています。
    それと同時に私たちの生活が、ただ憲法9条を変えるだけではなくて、そういう事を土台にしながら、私たちの生活も脅かされているという本当に国民無視の政治が行われています。
    そういう中で2016年の参議院選挙で、野党統一候補として杉尾さんに立候補していただいて当選をさせました。
    それから、2017年の総選挙につきましては、直前の民主党の裏切り等がありまして非常に苦労をしましたけれど、そうはいっても共産党それから社民党の皆さん含めながら毛利さんを立てて統一候補として闘って善選できました。
    それから、今年の参議院選挙と野党統一候補で羽田雄一郎さんを当選させて、長野県では、参議院で自民党の国会議員が一人もいなくなると、いう状況を作っています。
     こんどあるのは総選挙です。再来年までには必ずある訳ですけれど、この総選挙の中でも長野県から自民党の代議士(国会議員)を無くす為には、是非野党統一と市民の皆様との共闘を目指しながら野党共闘の中でも大きな成果を上げるべき準備をしていかなければいけないと思います。
     本当にそういう意味では正念場の日々が続いていくんではないかなと思っています。
  • そのために、諏訪市の党もまだまだ小さいです。皆さんの力を借りながら諏訪市のほうで党員、それから赤旗日刊紙・日曜版等大きく増やしていただきながら、選挙を迎えるべき努力をしていきたいと思っています。
    いずれにつきましても、今新しき光の中に千代子さんの志をしっかり受け継いで、私たち一生懸命頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いをしたいと思います。
    どうもありがとうございました。
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    挨拶する宮坂良夫さん
  • 木嶋日出夫さんの挨拶
     「墓前・碑前祭」には出られませんでしたけれど「語る会」に出るつもりで、少し早めに来ましたので、お墓参りに行ってまいりました。
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    挨拶する木嶋さん
  •  何時総選挙があるかもわかりません。安倍首相は、来年のオリンピックを盛り上げたうえで、成果を強調してオリンピック直後に解散で出るのではと予想されます。そして、「さらに2年間やらせろ」ということで本格的に9条改悪に向かって突き進んでいくことも懸念されます。
     総選挙が何時あるか判りませんが、野党の選挙共闘までは進んできたのですが、住民サイドで「どういう政権を作るか」というところで一致して、国民に訴えていかなければなりません。
    野党ばらばらで力がないじゃないかということで、ひどい政権が6年7年も続いているわけです。
    異常事態が続いている訳ですから、本当にいつでも皆さんつながって、中央政界に向かって「政権共闘つくれ」という声を全国から上げていくことも大事ではないか。
    二度と再び千代子さんの時代を、復活させないためにも、頑張っていきたいと思います。
    今日は、藤森さんのお話楽しみにしながら参加させていただきます。
    よろしくお願いします。ありがとうございました。
  • 藤田廣登さんの挨拶
     春宮の氏子で旧長地村(現、下諏訪町)東山田出身の旧姓は小口でございます。いろいろあってカミさんの方の姓を名乗っている藤田と申します。 今日はお招きありがとうございました。 90年前の9月24日未明、伊藤千代子さんは、特高の監視下の東京府立松沢病院で、誰にも看取られることなく非業の死を遂げました。
     それからもう90年たちます。皆さんのお力で、お墓を守りながら顕彰碑を建てていただいて、大きな力を残してくださいました。
    私どもは、諏訪の「こころざしの会」に協力共同する組織として、東京で「伊藤千代子の会(在京)」という組織を作って諏訪のこころざしの会に協賛して運動してまいりました。生誕100年記念の澤地久枝さんをお呼びした集会には、東京から200人もの方々が駆けつけるという大きな力を残してきました。 皆さんと一所懸命盛り立ててきて今日を迎えることができました。
     今日、私は墓前祭90周年のこの記念の行事にあたって四つのことを皆さんにお話ししたいと思います。
     一つは、先程来、三澤実さん田中康祺さんらのお力で続いてきた「こころざしの会」が、新体制になって藤森守さんを新会長に選んで、そして「10年先20年先を見通す」運営体制が実現出来た、こんな嬉しいことはないわけで、私どもおおいに意を強くしております。
      二つ目には私どもかつて諏訪の方の皆さんから「男はつらいよ」の監督に伊藤千代子さんの映画製作を頼んでくれないかというお声がかかってですね、お話を内々しましたけれど、そのまま立ち消えになっていたものが、たまたま独立プロのメンバーが、「千代子さんの小林多喜二や山本宣治などに繋がる姿を撮りたい」というご要望が出てまいりまして、皆さんに今日お配りをさせていただいた映画企画リーフにあるような企画を立てました その仕事を、私ども在京の「千代子の会」と「こころざしの会」とご一緒になって、やってまいりたい。私はいま、週に一回くらいの伊藤千代子の生涯のミニ講演をしながら全国を飛び回るという活動に入りました。皆さん熱烈な希望が出されておって、明後日には、大阪で100人の呼びかけ人の集会が開かれるというようなところまで進んでまいりました。 諏訪だけではなくて長野県だけでなくて日本中で、伊藤千代子さんの「こころざし」を継いでいこうという動きが、この映画化企画を契機にして出て来ているのは非常にうれしいことだと思っております。
     三つ目には、昨日、北海道苫小牧の畠山忠弘さんからお電話があって「諏訪のこころざしの会が新体制になったと聞いた。では、我々の方でも、また運動を復活してやろう」ということでした。実は苫小牧市立中央図書館には、千代子さんの獄中最後の手紙4通が保存されていて、畠山さんは、この発掘をしてきたわけなんですけれども、来年是非大々的な集会をやりたい、そのときには、諏訪からも、ぜひ代表以下大勢来ていただきたいというお招きの話を、お預かりしてきたのが三つ目であります。
     四つ目は、伊藤千代子さんは、諏訪の高島小学校の代用教員を2年やった後、突然、仙台の尚絅(しょうけい)女学校に11か月学んで英語の勉強をして東京女子大へと飛躍して行った訳でありますけれども、この尚絅女学校には、千代子さんの直ぐ直後に高橋とみ子さんと言って中新田署で虐殺され、お父さんが「こんな遺体は引き取れない」と、「むごい死体は引き取れない」と抗議をした、そういう方が続々と尚絅女学校から輩出してきました。そノ仙台でも千代子さんの顕彰をやろうということで、大きな集いを企画され、講演に行ってまいります。 このように諏訪が本拠地・発信源で、そしてそれが日本中に大きな力をもっていま発展してきているという事であります。 つい先日は、諏訪二葉高校の東京の同窓会の皆さんが「映画を考えているようだけれども」ということで桂監督にお声がかかり、呼ばれました。そして卒業生の宮川秀世さんを実行委員長にして、今日お見えになっていますが後藤多美子さんやその他大勢の方たちが、この映画の推進の実行委員会を作ろうということを決めて頂いたということです。
  • こういった新しい動きを、私どもから皆さんにもお伝えをし、皆さんと一緒になってこれからの顕彰運動を続けてまいりたい。こんな思いで今日訪ねて来ました。
     新体制になったということで、私も今日改めて「こころざしの会」の会員に入会をさせていただいて、ご一緒に顕彰運動をやってまいりたいと思っております。本日はお招きありがとうございました。
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    挨拶する藤田廣登さん
藤森俊樹さんの講演

「核兵器のない世界をめざして」
写真 核兵器廃絶を訴える藤森俊樹さん
  •  ー宮坂茂雄さんの感想ー
     被爆74年の厳しい日程の中で、長野県被災者の会会長藤森俊樹さんが「千代子の集い」に駆けつけてくれました。
    藤森さんは冒頭、「“平和に生きる”これは千代子さんも思いは同じだったと思う。」と語り始めしました。 母親の背中で一緒に74年前被爆し、9人兄弟の末っ子としてs育った俊希さん。 お母さんは悲惨な状況を忘れてはいけないといつも被爆した時のことを語ってくれたそうです。
     ところで被団協は会結成60周年を前に、何としても核兵器をなくそうと立ち上がってヒバクシャ国際署名を始めました。 そして長野県内で現在22万人分集まっています。
     DVDビデオ“藤森俊樹の伝言―きのこ雲の下僕は1歳だった―”での説明の中で「戦後国連第1号決議時には、アメリカ1ヶ国の核保有国が、今は9ヶ国と広がってしまった。そんな中2017年7月に反核平和運動のICANがノーベル平和賞をもらい、3人の女性の活躍で国連を動かし、核兵器禁止条約が122カ国の賛同を得られて採択されました。私も国連の場でヒバクシャを代表して訴え大きな支援を得ました。」と語りました。
     75歳になる藤森さん。何としても「核兵器をなくす」このチャンスに頑張って行きたいと決意を述べられました。
      私も、諏訪市原水協の一員としてヒバクシャ署名を広げようと強く思いました。



2019年伊藤千代子「墓参と碑前祭・今日を語る会」にご参加を!
  • 伊藤千代子が治安維持法の犠牲になり24歳の若さで亡くなって、今年は90年になります。
    また、1997年の顕彰碑建立から23回目となります。
    今日の日本は首相が先頭に立って、「戦争をしないという憲法」を戦争ができるように変えようとしています。
    参議院選挙でも国民は憲法を変えて欲しいと思っていないことが示されました。
     戦前の侵略戦争に反対し治安維持法に倒れた伊藤千代子の活動を語り継ぎ、今に発展させる集りにしたいと思います。
     国連で核兵器禁止条約が採択されたにも拘らず、大国は逆行する横暴を繰り返しています。
    今年の「今日を語る会」はノーベル平和賞受賞式に参加した藤森俊希さんを迎え講演を行います。

    多数の皆さんのご参加をお願い致します。 行事日程
     2019年9月23日(月曜日 秋分の日)
    第1部 墓参碑前祭 午後1時30分 南真志野霊園(諏訪市湖南 南真志野)
      終了後、「湖南公民館」に移動
    第2部 講演と語り合う会
     午後2時30開会
    湖南公民館(1階) 長野県諏訪市湖南4038-6
  • 講演
    講師 藤森 俊希としき さん
    長野県原爆被害者の会会長)

    演題  ~伊藤千代子の志に学んで~
    核兵器のない世界をめざして

    1.ふたたび被爆者をつくるな
    2.いま核兵器に終止符を打つとき
    3.世界が求める核兵器禁止条約

    講演後、意見交換、感想など交流を予定しています


  • 講演いただく藤森俊希さん

    国連総会にて


    藤森俊希さんプロフィール
     1944年3月29日、広島市生まれ。祖父、父母、9人兄弟姉妹の12人の大家族の末弟。
    8月6日、体調崩し母に背負われ病院に行く途中、川の土手の上で被爆。女学校1年の4女の姉は建物疎開に動員され、爆心地近くで被爆、遺体は見つかっていない。3番目の姉は7歳の次男をリンパ性急性白血病で亡くし、本人も56歳で亡くなった。
     母は、毎年8月6日、涙を流しながら子どもたちに被爆体験を語った。つらい思いをなぜ話すかとの問いに「あんたらを同じ目にあわせとうないからじゃ」と語った。
     広島の高校を卒業後、東京の大学に入学、在学中に就職、2006年62歳で定年退職し、長野県茅野市に移住。
    2010年長野県原爆被害者の会会長。
    2012年日本被団協事務局次長。  など歴任






    総会は、2019年6月1日午後4時よりこころのひろば会議室で開催されました。
    会則の改定が決議され、
    「伊藤千代子のこころざし、その意志を継承して、今日に生かすことを目的」
    に活動をしていくことを確認しあいました。

     会則では運営組織として理事会を設け通常の運営を行うことが定められました。
    会長に藤森守さん、以下役員が選出され、新しい体制で活動をしていくことになりました。


    こころざしの会臨時総会のお知らせ 2019年5月2日
    こころざしの会   会員様
                      こころざしの会 会長代行 藤森 守  平成11年に結成されたこころざしの会の役員は最初に決めたままで今日に至っています。
    当初からの役員も、病気や高齢、その他で実情に合わなくなっでいます。
     こころざしの会の運営にも支障がきたしていることから、ここで新しい役員を選出するための臨時総会を開催します。
    皆様のご出席をお願いします。

    日時  2019年 6月 1日(土)  午後 4時より
    場所  こころのひろば会議室
    議題 1:役員選出
       2:会則について
       3:今後の活動について
       4:その他