- 目次
- 設計デザイナーが語る設計意図
- 来訪された方々と寄せられた感想等
- 「無言館/山宣碑」~「満蒙開拓平和記念館」経由コース定着へ
- 2011年11月1日~2日三重県治安維持法国賠同盟一行18名様
- 2005年3月27日~28日 新日本歌人協会役員一行67名様
- 2004年11月16日 愛知年金者組合(女性部)一行40名様
- 2004年7月18日 関西勤労協大学一行45名様
- 2004年7月11日 高知アララギ一行8名様
- 2004年5月23日群馬県渋川市金島支部来訪
- 2004年2月11日 笠井あきら、山口のりひさ さんら来訪
- 2003年10月10日治安維持法国賠同盟和歌山県本部一行35名様(バス1台)
- 2002年 顕彰碑訪問
- 2001年以前に顕彰碑を訪れていただいた主な団体
- 建碑前に墓参に訪れていただいた主な団体
石垣ともみじを植えて環境整備が完了(1997年10月)
設計デザイナー横沢英一さん千代子顕彰碑について語る
実は、伊藤千代子さんのことは良く知らなかったです。
とりあえず、ぼくの友人で長く頑張っている党員が東京におりまして電話しましたら、それはすばらしい人だ是非作ってやりなさいという話がありました。
それから、ぼくの友人で今回の仕事も手伝っていただきました折井諏訪植木さんを通じて、栗田さんをはじめ諏訪の議員の方々に正式に設計を依頼されました。
それでまず私自身がやったことは、藤森明さんの本を読ませていただきました。それを読んだ時の衝撃がありまして、これはそう簡単なことはできんと思いました。何としてもいいものを作らなければいけないのですが、あまりにも難しすぎるということを考えました。
それで、場所などの条件を一応調査しました。それから伊藤千代子さんのすさまじい生き様をどう表現するか、しかもその生き様を通してわれわれがいまだに脈々と通ずるような光というものが永遠に生きるのではないかということを考えました。石垣ともみじを植えて環境整備が完了(1997年10月)
それから、ああいう碑を建てられる条件というものがあります。ああいう場所を与えられたのも何かの因縁があると考えたのです。
もうひとつは、土屋文明さんの歌がありますから、それとの競合をどうすればよいかというこせも考えて最終的にああいう形になりました。
石を使うということは、未来永劫にいい形で変化する、地球の基盤みたいなものがあるということで、石という材料を使いました。
直角三角形を建てたというのは、伊藤千代子さんの思想的な背景にあるものは、大地に踏ん張ってしっかり踏まえてものをやらなければいけないということを通したということを加味して、ああいう形になったわけです。
そういうことが、.設計の意図です。
伊藤千代子願彰碑を訪れる人々が9月に入って多くなり、30日は大阪・愛知の国賠同盟(治安維持法国家賠償同盟)の方々が来訪されました。
千代子碑が見学のメインであったが、赤彦の家、赤彦記念館、藤森成吉碑などにも立ち寄った。
今回、受け入れ態勢を3人で組み、それなりの検討を相互に行ったことで、きついスケジュールを何とかこなした。それにしても、皆様お元気でした。
『新日本歌人』は、昭和21年創刊(月刊)といい、石川啄木、渡辺順三系・生活派と『短歌年鑑』にて伺いましたが、寄贈いただいた最近刊誌を 拝見させていただき、なるほどなるほどと感心しました。(田中)
「先日は本当に、ご親切にして頂きましてありがとうございました。全員感謝の気持ちいっぱいで無事名古屋に帰りました。
もっと、ゆっくりお話を伺いたかったと、一泊行事の中で企画すべきだったと反省しています。又の機会を作って諏訪を訪れたいと思っています。
語り継ぐ人ありて碑に菊薫る 康子
他の皆様も千代子さんの碑に関する俳句を作っていらしゃいますので、感想がわりに後日送らせて頂きます。
こころざしの会の皆様のご健勝をお祈りしています。」
7月18日、インター付近で合流して案内した。実は「夏の勤労協大学」は1997年、美ヶ原で開催されており、やはり大型バスで千代子の墓を訪れてくれた。メンバーはほとんど替わっているのだろうが顕彰碑完成直前で私たちの運動が全国的注目の中で大きく励まされた。
伊藤千代子顕彰碑のところでは献花の後、若い女性が参加者を代表して「誓いの言葉」を読み上げた。
「・・・いま私たちは憲法九条改悪・・・など重大な情勢にに直面しています。・・・千代子が求めてやまなかった明るい日本の国づくりのため奮闘することを顕彰碑の前で改めて誓います。」と。
このあと私と伊東善知さんが挨拶し、伊藤千代子さんの墓にも参ってもらいました。
なお、前日には草取り清掃に8人、当日大型バスから降りた方を現地まで車で送迎の4人等その受け入れのため力を貸してもらいました。 〈三沢実〉
「アララギ」全国誌は数年前に廃刊しているが、今も「アララギ」を掲げて活動している。松山出身の正岡子規を源流とする集団と聞く。
20日に礼状が届いた。「・・・諏訪の土地と其処に育った人々となにかしらつながりのあるものを感じ・・・」とありました。
おくられた「高知アララギ」7月号に目を通していて目に留まったのが「時事詠」、イラク、憲法、自衛隊派遣から鳥インフルエンザまで、・・・歌人の心、人間くささのにじむ集団だ感じ入った。 〈三沢実〉
「2003年不屈バスツアーIn長野」募集チラシ
- 2001年 4月 大阪治安維持法国賠同盟一行様 ・ 岐阜治安維持法国賠同盟一行様
- 9月 諏訪地方のアララギ派歌人一行様
- 6月 えべやの会(民主旅行者の会)一行様
- 10月 信州いしずえ会
- 2000年 4月 山形県国民救援会一行様
- 7月 長野県母親大会・分科会一行様
- 10月 愛知県いしずえ会一行様
- 1999年 9月 秋田県平和学習旅行一行様
- 10月 土屋文明記念館一行様 ・ 東京都退職教職員組合協議会一行様
- 11月 在京 民主長野県人会一行様
- 1997年 5月 日本国民救援会あずみ野支部が諏訪地方の史跡巡りのなかで墓参
- 1996年 8月 関西勤労協主催「夏の勤労協大学 美ヶ原高原」一行70名様(前日藤森明氏講演)
- 1994年 5月 治安維持法国賠同盟 岩手県本部事務局長牛山靖夫氏(諏訪出身)墓参
- 1993年 6月 岡谷市で行われた演説会のあと不破哲三日本共産党委員長(当時)ご夫妻が墓参